今日は日曜日。
外は雨が降っていたので、少し部屋の整理をしようと思いました。
先日、古い書類を片付けていた時に、私の通知表が出てきました。
小学校一年生から高校卒業までのものです。
今日はそれを改めてゆっくり開いてみました。
通知表を見ながら、私は思わず笑ってしまいました。
子どもの頃の私は、自分のことを頭が良いと思い込んでいたのです。
授業はいつも楽しく、勉強で困ったことがありませんでした。
家で勉強することはほとんどなく、家では母の手伝いをしていました。
それでも授業を聞いていれば、テストではそれなりの点数が取れました。
成績が少し下がっても気になりませんでした。
「その時は勉強していなかったから」
ただそれだけのことでした。
少し頑張れば成績は上がることも、自分でわかっていました。
だから学校の成績で本気で悩んだことはありませんでした。
今思えば、不思議なほど気楽な子どもでした。
けれども、通知表を読み返していて気づいたことがあります。
私にとって学校は、勉強する場所というよりも、自分自身の時間を持てる場所だったのです。
家に帰れば、母の手伝いや弟妹のことがありました。
自分のことを考える時間はほとんどありませんでした。
だから学校にいる時間だけが、自分自身になれる時間だったのです。
授業も好きでした。
本を読むことも好きでした。
休み時間に宿題を片付けていると、
「ガリ勉、ガリ勉」
とからかわれたこともありました。
私はただ家でできないから今やろうと思っただけでした。
その時はとても驚きました。
なぜそんなことを言われるのだろう、と。
今でもその男の子の顔を覚えています。
それほど印象に残る出来事だったのでしょう。
通知表の通信欄も読み返しました。
そこには先生方の短い言葉が並んでいました。
「いつもゆったりしています」
「どんなことにも動じません」
「細かいことに気を使いすぎます」
「もっと自分の意見を言ってください」
「健康に注意しましょう」
「もっと明るく」
「もう少し強くなりましょう」
驚いたことに、先生が変わっても皆さん同じようなことを書いておられました。
子どもの頃は、こうした言葉を読んで戸惑っていたと思います。
私は学校が大好きでした。
楽しかったのです。
だから、
「もっと明るく」
と言われても、自分では十分幸せだと思っていました。
けれども今ならわかります。
先生方は私の成績を見ていたのではなく、私という人間を見ていてくださったのです。
そして、限られた数行の中で、精一杯の言葉を残してくださっていました。
大学受験の頃のことも思い出しました。
私は高校時代、地域で一番の進学校に通っていました。
とても豊かな高校生活を送らせていただきましたが、当時は浪人して志望校を目指すことも珍しくない環境でした。
私自身も自然と浪人するつもりでいました。
そのため高校時代の成績は決して優秀ではありませんでした。
けれども、それは勉強が苦手だったからではなく、自分の中でどこか余裕があったからなのだと思います。
浪人生活に入ると、午前中は家の手伝いをし、午後から勉強する生活を続けました。
家の中をきれいに整えると母がとても喜んでくれたことも覚えています。
そして夏頃から予備校へ通い始めました。
すると試験で思いがけず最上位クラスに入りました。
模試でも予想以上の成績を取るようになり、予備校の先生からは、日本で最も難関とされる大学の受験を勧められたこともありました。
母は大変驚いたそうです。
当時はまだ「女の子なのだから」という考え方も強く残っていた時代でした。
母にとっては、とても現実的な話には思えなかったのでしょう。
私自身も深く考えることなく、その言葉をそのまま受け止めていました。
今振り返ると、不思議な気がします。
もしあの頃、自分で進路を選ぶという発想を持っていたら、また違う道もあったのかもしれません。
けれども、その頃の私はそれが自然なことだと思っていました。
今振り返ると、私は勉強そのものに苦労した記憶はあまりありません。
集中して取り組めば結果はついてくることを、自分でも知っていました。
けれども大学に入ってからは少し違いました。
私は両親の強い希望もあり、文系へ進みました。
当時はそれが当たり前だと思っていて、自分自身が本当に何を学びたいのかを深く考えてはいませんでした。
今思えば、私が子どもの頃から心を引かれていたのは宇宙や星や自然科学でした。
本当は理系の世界が好きだったのだと思います。
大学では卒業に必要な勉強はきちんとしました。
けれども、どこか心の奥で違和感がありました。
能力の問題ではなかったのだと思います。
本当に知りたいこと、本当に学びたいこととの間に少し距離があった。
ただそれだけのことだったのでしょう。
思い返せば、若い女性の先生が、
「澄んだ目をしているお嬢さんです」
と言ってくださったことがありました。
別の先生は、
「本当に素直な良い方です」
と母に話してくださったそうです。
中学三年の担任の先生は、私が不当な扱いを受けた時に守ってくださいました。
社会人になってからも、年上の女性の方々が、
「優しい目をしていますね」
「澄んだ美しい目をしていますね」
と声をかけてくださいました。
当時はよくわかりませんでした。
でも今思うのです。
先生方もまた、そういうものを見てくださっていたのではないかと。
通知表を読み返しながら、私は何度も頭が下がりました。
厳しいと思っていた先生もいました。
怖いと思っていた先生もいました。
けれども、その言葉の行間には確かに愛情がありました。
そして、それを受け取れるようになったのは、60年経った今だからなのでしょう。
子どもの頃の私は、その意味がわかりませんでした。
でも今ならわかります。
本当にありがたいことだったのだと。
そして何より思うのです。
子どもの頃に大好きだった宇宙や星や自然科学を、今こうして自由に楽しめる毎日を送っていること。
星空を見上げ、宇宙の本を読み、自然の中で小さな発見に喜びを感じること。
それはなんて幸せなことなのだろうと思います。
60年前の通知表は、成績よりも大切なものを私に教えてくれました。
それは、人の善意や愛情は、時を超えて届くということです。
今日、雨の日に通知表を開いて、本当に良かったと思いました。
I’m truly grateful.
