私は小学校から中学校にかけて、理科が大好きでした。
光合成の実験や月の満ち欠け、星の動き。
授業でそういうことを学ぶたびに、とても嬉しかったことを覚えています。
将来もっとたくさんのことがわかるようになるんだろうな。
お月様やお星様のこと、空のこと、自然のこと。
そんなふうに思うとワクワクしていました。
ところが、高校で物理の授業が始まると、何が何だかわからなくなってしまいました。
中学生の頃だったと思います。
先生が机の上に手を置いて、机を押しながら、
「この力はどのくらいでしょう」
と聞かれました。
私は質問の意味そのものがわかりませんでした。
なぜそんなことを聞くのだろう。
何を答えればいいのだろう。
そんな戸惑いだけが残りました。
それ以来、宇宙や自然には興味があるのに、物理という学問だけはどこか遠いものになってしまったように思います。
そんな私が、二年ほど前から楽しみに拝見しているのが、カリフォルニア大学バークレー校の物理学者、野村泰紀先生のYouTubeてのお話です。
先生のお話を聞いていると、不思議なくらい腑に落ちるのです。
そして気がつきました。
子どもの頃に感じていた「知りたい」という気持ちは間違っていなかったこと。
そして、物理の授業がつまらないと感じたのも、ある意味では当然だったことに。
先生は、物理学とは何かをとてもわかりやすく説明してくださいます。
自然界にはどんな法則があるのか。
人間はそれを見つけようとしている。
そして、その法則が本当に正しいのかを実験や観測によって確かめ続けている。
どんな実験をしても成り立つなら、その法則への信頼はどんどん高まっていく。
物理学とは、そういう積み重ねなのだそうです。
私が特に驚いたのは、
「研究者自身も、すべてを理解しているわけではない」
というお話でした。
多くの人は、
「物理学者は全部わかっている」
と思いがちです。
私もそう思っていました。
ところが先生は、
「この式を使うと非常によく予測できる。でも、なぜそうなるのかという感覚まで含めて完全に腑に落ちているわけではない」
というようなお話をされます。
私たちが普段暮らしている世界と、原子や素粒子の世界ではスケールが違いすぎるのです。
目で見ることもできない。
体験することもできない。
だから直感的に理解できなくても当然なのだそうです。
科学の歴史も同じです。
ニュートンの時代には、ニュートン力学が大活躍しました。
航海をしたり、星の動きを予測したり、人間が日常で扱う世界では十分に正しかったのです。
その後、より小さな世界を調べられるようになると、新しい理論が必要になりました。
だからといって、ニュートンが間違っていたわけではありません。
扱う世界が違っただけなのです。
このお話を聞いた時、
「ああ、そういうことだったのか」
と長年の疑問がすっと消えたような気がしました。
最近、ある研究者の方のインタビュー番組を見ました。
司会者の方は研究の本質を聞きたかったのだと思います。
私も知りたかったです。
けれども話が難しく、結局よくわからないまま終わってしまいました。
一方でAIについて質問されると、どの先生も似たような答えをされます。
問う力が大切。
感じる力が大切。
AIは研究を助ける道具になる。
それはその通りだと思います。
でも私が聞きたいのは、その先にある「なぜ」でした。
野村先生のお話が魅力的なのは、わからない人の立場に立ってくださるからなのだと思います。
専門家だから難しい言葉で説明するのではなく、
「皆さんはここが疑問なんですよね」
と、その疑問を一つひとつ解きほぐしてくださいます。
そして時には、
「これはわからなくていいんです」
ともおっしゃいます。
研究者自身も完全にはわからない。
だから皆さんがわからなくても当然なんです、と。
その言葉に私は何度も救われました。
そして先生は最後によく、
「宇宙の未来を考えると、どんなものも永遠には残らないんです」
というお話をされます。
何兆年という時間の先には、今あるものは姿を変えている。
そう考えると、
今ここにいる自分ができることは何だろう。
結局、
今を楽しく生きることではないでしょうか。
そんなふうに語られます。
私はその言葉がとても好きです。
子どもの頃に空を見上げて感じていたワクワク感。
星や月を見て不思議だなと思った気持ち。
それは決して消えていたわけではありませんでした。
ただ少し遠回りしていただけだったのかもしれません。
最近、夜の散歩で月様や星たちを見上げるたびに思います。
わからないことはたくさんあります。
けれども、それでいいのです。
わからないからこそ面白い。
そして今日もまた、空を見上げたくなるのです。