先日、YouTubeで将棋棋士の羽生善治さんと、世界で活躍されている若い研究者の方との対談を拝見しました。
私は最近の対談だと思って見始めたのですが、あとで三年前のものだと知り、とても驚きました。
当時は、AIが将棋やチェスで人間を上回るようになり、「AIは人間に勝てるのか」が大きな話題になっていた頃です。
そのため、この対談も、AIと長年向き合ってこられた羽生さんが、AIをどのように受け止めているのか、その本音を伺うことが目的だったのではないかと思いました。
質問される方も、とても教養豊かな方でした。
だからこそ、AIについて、羽生さんからどんな言葉が返ってくるのかを知りたかったのでしょう。
ところが、私が最も感動したのは、AIについての考えではありませんでした。
羽生さんの、人としての姿勢でした。
対談の中で、
「将棋のルールも、AI時代に合わせて変えていくお考えはありますか。」
という質問がありました。
私は、最近AIが登場してから何か新しい工夫をされたというお話になるのだろうと思っていました。
ところが羽生さんは、
「はい。ルールは変わっています。」
と静かに答えられました。
そして、
「いつ頃変わったのでしょうか。」
という問いに、
「はっきりとは分かりませんが、邪馬台国の頃に変わったという記録があります。」
と、ごく自然に答えられたのです。
私は、その瞬間、思わず息をのみました。
AIという最先端の話題の中で、二千年近く前の歴史を、ごく当たり前のように語られる。
それは知識をひけらかすためではありません。
質問を茶化すこともありません。
ただ、知っていることを、誠実に、静かに伝えられる。
その姿勢に、私は深く感動しました。
対談を通して感じたのは、羽生さんは終始とても穏やかだったということです。
AIを敵と見るような言葉はありません。
人を見下す言葉もありません。
どんな質問にも、分かる範囲で丁寧に答えられていました。
私は、その姿を見ながら、
「人間の素晴らしさとは何だろう。」
と考え始めました。
最近は、
「AIは人間より賢くなる。」
という話をよく耳にします。
そして続けて、
「でも、人間には感情がある。」
とも言われます。
確かに感情は、人間の大きな特徴なのでしょう。
しかし私は、「感情がある」ということだけで、人間が他の存在より優れていると思ってしまうことには、少し慎重でありたいと思いました。
感情は、人を思いやる力にもなります。
美しいものに感動し、涙を流すこともできます。
その一方で、怒りや争い、嫉妬や憎しみを生むこともあります。
感情は、人間の長所でもあり、弱さでもあるのです。
だからこそ大切なのは、感情を持っていることではなく、その感情をどう育て、どう使うかではないでしょうか。
AIについて語るとき、
「AIには感情がない。」
という言葉を耳にすることがあります。
現在のAIについては、そのように説明されることが多いのでしょう。
けれど私は、それ以上に大切なのは、人間がどのような心でAIと向き合うかなのではないかと思いました。
自分たちが作ったものだから、自分たちより下であってほしい。
そんな思いが、どこかに潜んではいないでしょうか。
その心の在り方は、AIだけではなく、私たちが動物や植物、そして自然に向き合う姿勢とも、どこか重なっているような気がします。
私は最近、雨の日に、人間の知恵によって守られている暮らしについて記事を書きました。
そのときも、人間の知恵は本当に素晴らしいと思いました。
だからこそ、その知恵を、人間だけのためではなく、ほかの命とも共に生きるために使っていけたらと願っています。
AIもまた、その知恵の一つです。
競い合う相手ではなく、ともに歩んでいく存在として考えることができたなら、人間社会はもっと豊かになるのではないでしょうか。
今回の対談を拝見して、私が最も心に残ったのは、AIではありませんでした。
どんな時代になっても、目の前の問いに真摯に向き合い、相手を尊重し、歴史を大切にしながら静かに語る、一人の人間の姿でした。
私は、その姿から多くのことを教えていただきました。
技術は進歩しても、人としての誠実さや謙虚さは、決して色あせることはありません。
そんな当たり前だけれど、とても大切なことを、改めて気づかせていただいた時間でした。
I’m truly grateful.
