今朝は、小雨の降る静かな朝でした。
夜が明ける頃、いつものようにバードバスのお水を替え、お食事を用意しました。
一番にやって来たのはリボンちゃんです。
電線に止まり、羽も動かさず、小さな声で「ウギュ、ウギュ」と話しかけるように鳴いていました。
そこへリボンママが飛んできて、隣にそっと座り、優しく羽づくろいを始めます。
私はお食事の準備を終え、静かに裏庭を離れました。
すると、待っていたかのようにリボンママが庭へ降り立ちました。
今日も無事に、お水を替え、お食事を届けることができました。
部屋へ戻り、温かいホットシナモンレモネードティーをいただきます。
数日ぶりに、安心した気持ちでゆっくりお茶を飲める朝になりました。
たくさんの課題はあります。
それでも、一つひとつ少しずつ乗り越えているような気がしています。
今、東側の庭には、これから咲こうとしている百合の葉がたくさん伸びています。
まるで夢のような景色です。
このまま育てば、庭いっぱいに百合が咲く「百合畑」のようになるかもしれません。
その景色を見ながら、昨年のことを思い出しました。
昨年の夏。
東側には、大きな蕾をたくさん付けた百合が並んでいました。
ところが、その蕾はすべて抜かれてしまいました。
残されたのは、裏庭にあった一本だけ。
あの時の胸の苦しさは、今でも忘れることができません。
ところが数か月後、思いがけないことが起こりました。
抜かれたはずの場所から、新しい百合の葉が次々と顔を出したのです。
球根の力だったのでしょう。
私は驚き、そして自然の生命力に感動しました。

秋になると、その百合たちは美しく咲きました。
東側には八本。
ベランダの上には二本。
毎日写真を撮り、ノートにも細かく記録しました。
あの頃の記録を読み返すと、自分がどれほど嬉しかったのかが伝わってきます。
悲しみを乗り越えた先に、こんなにも大きな喜びが待っていることを、百合たちが教えてくれました。
そして、その百合たちが咲き終わる頃。
十一月の終わり頃だったでしょうか。
今度は表庭の西側で、小さな葉を見つけました。
「これも百合かしら。」
そう思いながら抜かずに見守っていると、やはり百合でした。
ところが、とても小さいのです。
高さは十五センチほど。
季節も冬へ向かっています。
「夏の花だから、もう咲かないかもしれない。」
そう思っていました。
ところが、この小さな百合は、なんとクリスマスの頃に咲いてくれたのです。
その姿が、本当に愛おしく感じられました。

年が明け、一月。
大嵐がやって来ました。
朝見ると、一輪の百合はしおれていました。
それでも、不思議なことに、その姿のまま長い間立ち続けてくれました。
その隣には、花吹雪を降らせる山茶花。
足元一面は白い花びらの絨毯です。

その中で、小さな百合は最後まで凛と立ち続けました。
私は毎日声をかけながら、その姿を見守りました。
山茶花の季節が終わる頃、百合も静かに役目を終えました。
最後まで自然のまま生き抜く姿を見せていただいたことに、今でも感謝しています。
裏庭にも、嬉しい出来事がありました。
昨年、一本だけ残された百合は、大きく成長し、一つの茎から五輪もの花を咲かせてくれました。
さらに、その近くには気づかなかった三本の百合も育ち、小さな花を咲かせてくれました。
裏庭は、思いがけず百合の庭になっていたのです。
そして今年。
植木屋さんが入りました。
昨年とは、まるで違う景色です。
昨年抜かれてしまった東側の百合は、今年はそのまま残されました。

数えきれないほどの葉が伸びています。
それぞれ成長の速さは違いますから、順番に咲いていくのでしょう。
ある時期には、本当に百合畑のようになるかもしれません。
一年前には想像もできなかった景色です。
裏庭もまた、新しく生まれ変わりました。
南天は思い切って剪定されました。
赤ちゃん木さんも、お母さん木さんと一緒に若返りました。
それでも青々とした葉を残し、これから元気に育とうとしています。
そして、その庭の中央には、丸く刈り込まれた可愛らしい柘植さん。
その上から、一本の立派な百合がすっと頭を伸ばしています。
とても安定した、美しい姿です。
今年は、この一本が裏庭の主役になってくれるような気がしています。
きっと素敵な写真が撮れるでしょう。
今から楽しみでなりません。
自然は、思い通りにはなりません。
だからこそ、思いがけない喜びを見せてくれます。
昨年の悲しみがあったからこそ、今年の百合の葉は、こんなにも希望に満ちて見えるのでしょう。
焦らず、一歩ずつ。
百合たちと一緒に、今年の夏を迎えたいと思います。
I’m truly grateful.