今年はじめて、自分でお正月の花を生けました。

いけばなでは、葉を落として形を整えることが多く、
それが自然なこととして身についていましたが、
今年はどうしても葉を取ることができませんでした。
葉を落とすと、花の力まで抜けてしまうような気がして、
そのまま生けてみることにしたのです。

最初は少しだけ違和感がありました。
家の中でも、いつもと違うねという空気がありました。
それでもそのまま置いておくと、
日を重ねるごとに、玄関の空気が変わっていきました。
花はゆっくりと咲き、
葉はしっかりと水を含み、
全体が呼吸しているような気配がありました。

訪れてくださる方々が口々に、
「生き生きしていますね」と言ってくださり、
気がつけば、その花は四ヶ月もそこにありました。

やがて菊の色がやわらかくくすみ、
葉が静かに落ちていった一週間前、
その時が来たのだと感じて、丁寧に片付けました。
その少し前のことです。

一月十五日、送り火の日に、
お正月の松を神社へ持って行きました。
朝早く、まだ暗い中を、
大切に抱えるようにして運びました。
はじめて自分で整えた松でした。
ぎりぎりで手に入れて、夢中で飾ったその松は、
思いがけないほど美しく、
私にとって特別な存在になっていました。
バスに乗り、窓の外が少しずつ明るくなっていく頃、
ふと、この松が外の景色を見ているような気がしました。
そのとき、胸の奥に小さな違和感が生まれました。
「私は今、この子を焼きに連れて行っているのだろうか」
そう思った瞬間、
なぜここに向かっているのか、分からなくなりました。
本当は、このまま引き返して、
家に連れて帰りたかったのかもしれません。
けれども、そのまま神社へ向かい、
用意された場所へお渡ししました。
やがて火が入り、
松は炎の中へと送られていきました。
その光景を見つめながら、
私はただ、静かに立っていました。
帰ってから、さまざまなことを調べました。
送り火に持っていくことだけが正しいのではなく、
それぞれの地域や家庭によって、
いろいろな方法があることを知りました。
しばらく手元に置いて見届ける方もいれば、
自分のタイミングで丁寧に手放す方もいると知り、
少しほっとしました。
今回の出来事を通して、
形を整えることと、
命の流れに任せること、
そのどちらも大切にしながら、
自分の感覚で選んでいくことの大切さを感じました。
来年は、もう少しゆっくりと、
その時間を共に過ごしながら、
自分のタイミングで手放したいと思います。

白い紙に包み、
そっと手を合わせて「ありがとう」と伝える。
そんな送り方も、
きっと同じように届くのだと、
今は感じています。