ギャーさんは、我が家の「番鳥」でした。
宅急便屋さんが来て、私が門のところへ出ると、ギャーさんは必ず近くの電線の上からじっと見ています。
きっと宅急便屋さんは、背中にギャーさんの視線を感じながら、少しそそくさと帰っていかれたと思います。
私はいつも思っていました。
「家には今、番犬はいないけれど、ギャーさんがいるから大丈夫。」
そんな不思議な安心感が、本当にあったのです。
あの頃は、空き巣や詐欺などの話をよく耳にしていました。
犬がいる家は避けるとか、鍵が多い家は狙われにくいとか、そんな話も聞いていました。
我が家には、犬がいない時期が長くありました。
チョコちゃんが来る前の頃です。
ちょうどその頃、私は仕事を辞め、長年続いた忙しい生活から離れて、家にいる時間が増えました。
そしてその頃に、ギャーさんとママが、毎日のように姿を見せるようになったのです。
私が外出をすると、ギャーさんとママは、必ず一緒について来ました。
桜並木の道を、私と一緒に歩くのです。
時々ふわっと飛んでは、また地面に降りてきます。
そしてまた、私のそばを歩き始めるのです。
そんなふうにしながら、テリトリーの境界まで見送ってくれていました。
そこが、ギャーさんたちとの「いってらっしゃい」の場所でした。
私はそこで、ギャーさんの好きなクッキーを少し置きます。
「ママと一緒に食べてね。」
そんな気持ちでした。
でも後ろを振り返ると、大抵ギャーさんが全部取ってしまっています。
ママは少し離れたところで、じっと見ています。
なので途中から、私は少し間隔を空けて二枚ずつ置くようになりました。
すると、ギャーさんが取っている間に、ママもちゃんと取れるのです。
そんな様子が、なんだか可笑しくて、微笑ましくて、私はいつも笑ってしまいました。
帰りも同じでした。
バスを降りて、坂道を上がり、ギャーさんたちのテリトリーに入ると、どこからともなく、さっと飛んできます。
時には、私の肩すれすれを低空飛行で飛び抜けていくこともありました。
「ギャーさん、飛ぶのが上手なのは分かるけれど、ちょっと危ないよ。」
そんなふうに心の中で話しかけながら歩いていると、ギャーさんは先に門の上へ着地して、こちらを見ています。
まるで、
「お帰りなさい。」
と言っているようでした。

夕方になると、また家の前の電線にやって来ます。
それが、私には「おやすみなさい」の挨拶のように感じられていました。
時々、私が外へ出ない日もありました。
そんな時は、
「あれ、今日は待っていてくれたのかな。」
と思うことがありました。
きっと暗くなるまで待っていて、私が出て来ないので、そっと帰っていったのだと思います。
そんなことを思うと、当時も胸が少し痛みました。
でも翌日になると、何事もなかったように、また元気な姿を見せてくれるのです。
ある時、自治会の回覧板を近所のお宅へ届けに行ったことがありました。
すると、ギャーさんとママも、ついて来てしまったのです。
インターホンを押してお話している間、二羽は門の上にちょこんと止まっていました。
相手のお宅から見たら、
「人間一人と、カラス二羽」
だったと思います。
今思うと、本当におかしな光景です。
でも、その方は特に驚いた様子もなく、やさしく対応してくださいました。
きっと、おとなしい鳥たちだなぁと思われたのでしょう。
あの頃は、それが当たり前の日常だと思っていました。
でも今思うと、
毎日「いってらっしゃい」と見送られ、
「お帰りなさい」と迎えられていた時間は、
本当に特別な時間だったのだと思います。
