昨日、外出してコンビニに行き、用事を済ませて、ほっと一息つきました。
アイスコーヒーを飲みながら、iPhoneのメモにふと浮かんだ気づきを書き留めました。
少し前から、ChatGPTで自分の書いた文章を英語に直してもらい、英語に触れるという新しいことを始めています。
その流れで、昨日たまたま大学時代の友人と電話で話したときのことを思い出しました。
私は英文学科に在籍していて、3年生の時にリサーチという小論文を書く課題がありました。
テーマは自分の興味から選ぶというもので、私はギリシャの奴隷制度に興味を持ち、それを選びました。
けれども当時の私は、「自分の興味」と言われても、それが何なのかよくわからない状態でした。
結果としてその授業の評価はCでしたが、出席して授業を受けていたことで、無事に単位を取ることはできました。
その友人は英文学がとても好きで、好きな小説もありました。
ある授業で、現在では活躍しているある女性と、イギリス小説の解釈について意見が対立したそうです。
その女性は、多くの評論や文献を引用しながら、自分の考えを丁寧に伝えていたとのことでした。
一方で私の友人は、「私はこの作品をこう感じる」と、自分の言葉で表現していたそうです。
二人の議論はしばらく続いたそうですが、今振り返ってみると、とても印象深い出来事のように感じます。
その女性は後に、多くの著名な方々と出会い、その知識や経験を紹介する本を出版されました。
その歩みはとても素晴らしいものだと、今でも思っています。
けれども今、ふと感じるのです。
それは、今のAIがしてくれていることに、どこか似ているのではないか、と。
多くの情報や知識を集めて伝えることも素晴らしく、
当時の私は、その力に驚きと尊敬の気持ちを持っていました。
ただ一方で、うまく言葉にはできなかったのですが、
「自分はどう感じるのか」ということも、どこかで大切にしたいと感じていたように思います。
私たちは当時、多くの文献を読むことはできませんでしたが、
その分、作品から自分なりに感じることを大切にしていたのかもしれません。
そして今は、わからないことがあれば、AIに聞けば教えてもらえる時代になりました。
だからこそ、
これからは「自分が感じたこと」を大切にしていきたいと思います。
あの頃に感じていた不安や迷いも、
今では少しずつ意味がわかってきたような気がします。
環境が整った今、
自分の思うことを、自分の言葉で、ゆっくりと表現していきたいと思います。
この文章を、あの時一緒に学んでいた友人へ、心を込めて捧げます。
I’m truly grateful.
