今朝、コインを磨いていました。
手にしていたのは、昭和40年の一円玉さん。
私が13歳、中学2年生だった年のコインです。

刻まれた年を見ているうちに、中学生だった頃の思い出が、次々によみがえってきました。
そして、ふと思ったのです。
あの3年間には、私の人生がぎゅっと詰まっていたのかもしれない、と。
中学1年生の私は、鎌倉市内の、当時名門といわれていた公立中学校に通っていました。
毎日がとても楽しく、勉強も、それほど一生懸命していたつもりはありませんでしたが、自分なりに納得できる成績でした。
ある時、先生から「あなたが一番です」と言われました。
クラスのみんなが驚き、それまで一番だと自負していた女の子が、私にこう言いました。
「私、恥ずかしいわ。あなたが本当は一番だったのに」
でも、私には、その子が恥ずかしがる理由などありませんでした。
成績もよく、華やかで、素敵なボーイフレンドもいる、みんなの憧れの女の子。私は、その子の素敵なところを、そのまま伝えました。
私は地味で、席の周りのお友達とお昼を食べたり、話したりしているのが好きな子でした。一番と言われても、いつもの毎日が変わるわけではありませんでした。
ところが、父の転勤で、青森へ引っ越すことになりました。
寂しくて、私だけでも残って、この学校に通い続けたいと思ったほどでした。
青森の学校では、女の子たちはセーラー服を着ていました。
私も憧れていたのですが、学校から、それまでの制服のままでよいと言われ、鎌倉で着ていた襟なしのブレザーで通うことになりました。
みんなの中で、一人だけ違う制服。
それだけでも、少し浮いているような気がしました。
都会から来た子、という目でも見られていたように思います。
自分では気取っているつもりなどなくても、口数が少ないことも重なって、お高くとまっているように受け取られたのかもしれません。
周りから見える私と、本当の私。
その間に、どこか隔たりを感じていました。
青森での学校生活は、私の中では、少し不完全燃焼のまま過ぎていきました。
父の転勤は1年で終わり、今度は横須賀へ戻ることになりました。
こちらへ戻れることが、とてもうれしかったのを覚えています。
ただ、すぐには希望する社宅に入れず、しばらく母のお友達のお宅に間借りをしました。その後、クリスマスの頃に、小さな2階建てのアパートの社宅へ引っ越しました。
住まいも学校も変わり、落ち着くまでには、いろいろなことがありました。
横須賀の中学校に入って間もなく、アチーブメントテストを受けることになりました。
ところが、青森とこちらでは授業の進み方が違い、試験範囲には、まだ習っていないところがありました。
そこで父が、数学の未習部分を急いで教えてくれました。
1週間ほどだったでしょうか。
父の説明は、するすると頭に入ってきました。
そして試験では、数学は50点満点に近い点数を取ることができました。
ほかの教科には、まだ習っていない部分もあったのですが、総合では、また先生から「クラスで一番」と言われました。
転校してきて、まだひと月もたたない頃のことです。
みんなが驚いて、私の方を見ました。
それでも私は、相変わらずの私でした。
席の近いお友達が仲間に入れてくれて、少しずつ新しい毎日になじんでいきました。
そのクラスには、今でいうアイドルグループのような、素敵な男の子たちもいました。
一人ひとりに違った魅力があって、見ているだけでも心が弾みました。
振り返ると、あの教室には、確かに私の青春がありました。
やがて3年生になり、クラス替えをして、中学校最後の1年が始まりました。
そんな中、家庭科で、思いもよらない低い評価を受けたことがありました。
授業にも出て、作品も丁寧に仕上げ、褒めていただいたこともありました。それだけに、私も両親も、理由が分からず驚きました。
その後、高校受験で内申書が重要になると知り、両親が担任の先生に相談しました。
先生が確認してくださいましたが、評価の根拠は、はっきりしなかったと記憶しています。
転校してきたばかりで、目立たない私のことは、十分に伝わっていなかったのかもしれません。
結局、評価そのものは変わりませんでしたが、担任の先生が、普段の学習の様子などを補足してくださったと聞いています。
それでも、受験に向けて、内申点では厳しい立場になりました。
「当日の試験で、きちんと力を出せれば」
そう聞いて、私は1月、2月の2か月ほど、本気で勉強を始めました。
幼なじみのお友達から勉強方法を聞き、よいと思ったものは、すぐに取り入れました。
特に覚えているのは、過去問題集を解く楽しさです。
「ああ、また同じような問題が出てきた」
解いているうちに、分かることが増えていく。
できない時もあるけれど、次にはできることもある。
まるでゲームに挑戦するように、面白くて、夢中になりました。
もともと大好きだった理科の授業も、ますます楽しくなりました。
理科の先生が、ほかのクラスで私のことを話してくださっていると、お友達から聞いたことがあります。
大学生が授業を受けるように、真剣に聞いている、と。
好きなことを夢中で学んでいた、その姿を見てくださる先生がいたこと。それは、とてもうれしいことでした。
そして、希望する高校に合格しました。
本当にうれしかったです。
でも、その喜びの中には、不思議と「きっと、こうなると思っていた」という気持ちもありました。
望む方へ、自分にできることをして進んでいく。
そうすれば、そこへたどり着ける。
そんな感覚が、あの頃の私にはあったのだと思います。
楽しかった鎌倉の学校。
自分らしさをうまく出せなかった青森の日々。
心が弾んだ横須賀の教室。
戸惑うような評価と、夢中になった受験勉強。
わずか3年間に、本当にいろいろなことがありました。
周りからどう見られていても、私の中には、好きなことを楽しみ、必要な時には力を出して、先へ進もうとする私がいたのですね。
今朝、一円玉さんを磨きながら、その私に、久しぶりに会えたような気がしました。
今の私の心の底にも、あの頃と同じものが、静かに流れているのかもしれません。
昭和40年の一円玉さん。
懐かしい日々と、私の中にあった力を思い出させてくれて、ありがとうございます。
すべてに感謝いたします。
I’m truly grateful.